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Saturday, January 21, 2023

Tea ceremony --- Sado --- Hatsugama, Hatsukama

History of the Tea Ceremony

Tea was first introduced to Japan during the Kamakura period (1185-1333). It is said that a monk named Eisai brought tea from Sakae, China.

In the Muromachi period (1333-1573), a monk named Murata Shuko introduced spirituality, which led to the use of simple tea rooms and tea utensils, and the establishment of "Wabicha," which emphasizes the interaction between the host and the guest.

Sen no Rikyu, a tea master, developed the Wabicha style. Sen no Rikyu was deeply particular about the construction of tea rooms and tea utensils, and established the modern tea ceremony. Sen no Rikyu's descendants created three schools of tea ceremony: Omotesenke, Urasenke, and Mushanokoji Senke, known as the Sanzenke. Here is a brief introduction to the three representative schools of tea ceremony.


茶道(さどう)の歴史(れきし)


日本(にほん)にお茶(ちゃ)が広(ひろ)まったのは鎌倉時代(かまくらじだい)のころ。栄(えい)西(さい)という僧(そう)が中国(ちゅうごく)の宋(そう)からお茶(ちゃ)を持(も)ってきたのが始(はじ)まりといわれています。
室町時代(むろまちじだい)には村田(むらた)珠(じゅ)光(こう)という僧侶(そうりょ)が精神(せいしん)性(せい)を取(と)り入(い)れたことから質素(しっそ)な茶室(ちゃしつ)や茶道具(ちゃどうぐ)を使用(しよう)するようになり、亭主(ていしゅ)と客人(きゃくじん)の交流(こうりゅう)を重(おも)んじる「わび茶(ちゃ)」が成立(せいりつ)しました。


そして、「わび茶(ちゃ)」を発展(はってん)させたのが茶(ちゃ)人(じん)である千(せんの)利休(りきゅう)。千(せんの)利休(りきゅう)は茶室(ちゃしつ)の造(つく)りや茶道具(ちゃどうぐ)に深(ふか)いこだわり を もち、現代(げんだい)の茶道(さどう)を確立(かくりつ)しました。千(せんの)利休(りきゅう)の子孫(しそん)たちにより、「表(おもて)千家(せんけ)」、「裏千家(うらせんけ)」と「武者(むしゃ)小路(こうじ)千家(せんけ)」という三(さん)千家(せんけ)と呼(よ)ばれる三(みっ)つの流派(りゅうは)が作(つく)られます。ここでは簡単(かんたん)に茶道(さどう)の代表的(だいひょうてき)な 3 つの流派(りゅうは)についてご紹介(しょうかい)します。



Tea room "Fushinan"

表(おもて)千家(せんけ)は千家(せんけ)流(りゅう)茶道(さどう)の本家(ほんけ)です。表(おもて)千家(せんけ)を象徴(しょうちょう)するのは、「不審(ふしん)菴(あん)(ふしんあん)」という名前(なまえ)の茶室(ちゃしつ)です。名前(なまえ)の由来(ゆらい)は禅(ぜん)語(ご)から付(つ)けられたと言(い)われています。意味(いみ)は、「不思議(ふしぎ)なことだ、春(はる)のこの日(ひ)に花(はな)が咲(さ)くのは」という意味(いみ)の語(ご)で、教(おし)えられていないのに花(はな)が毎年(まいとし)春(はる)に咲(さ)くように、自然(しぜん)とは人智(じんち)を超(こ)えたもので、そこにははかりごとが一切(いっさい)ない」ということの不思議(ふしぎ)さや自然(しぜん)に対(たい)する畏敬(いけい)の念(ねん)を表(あらわ)した禅(ぜん)語(ご)です。初代(しょだい)、利休(りきゅう)(りきゅう)から始(はじ)まりました。わびさび を感(かん)じる伝統(でんとう)に重(おも)きを置(お)いており、質素(しっそ)なものが好(この)まれている、どちらかというと保守的(ほしゅてき)な流派(りゅうは)です。着物(きもの)も地味(じみ)なものが好(この)まれます。使用(しよう)する袱紗(ふくさ)は、女性(じょせい)は朱色(しゅいろ)、男性(だんせい)は紫色(むらさきいろ)です。
Tea room "Konnichian"

裏千家(うらせんけ)は、もともとは表(おもて)千家(せんけ)の分家(ぶんけ)です。表(おもて)千家(せんけ)の不審(ふしん)菴(あん)の裏通(うらどお)りに位置(いち)するため、裏千家(うらせんけ)と呼(よ)ばれています。茶室(ちゃしつ)の名前(なまえ)は「今日(こんにち)庵(あん)(こんにちあん)」。表(おもて)千家(せんけ)の三代目(さんだいめ)である宗旦(そうたん)が、不審(ふしん)庵(あん)を三男(さんなん)の江(こう)岑(しん)に譲(ゆず)った後(のち)、宗(そう)旦(たん)の隠居(いんきょ)処(じょ)として今日(こんにち)庵(あん)を建立(こんりゅう)しました。
今日(こんにち)庵(あん)には面白(おもしろ)い逸話(いつわ)がありますので、紹介(しょうかい)します。宗(そう)旦(たん)が新(あたら)しい茶室(ちゃしつ)の席(せき)開(びら)きの日(ひ)に禅(ぜん)の師(し)である大(だい)徳(とく)寺(じ)の清(せい)巌(がん)和尚(おしょう)を招(まね)いたところ、時間(じかん)になっても現(あらわ)れない。遅(おく)れてきた清(せい)巌(がん)和尚(おしょう)は誰(だれ)もいない茶室(ちゃしつ)の腰(こし)張(ば)りに

「わたしは怠(なま)け者(もの)の僧(そう)なので明日(あした)のことは約束(やくそく)できません」、と書(か)き付(つ)けて帰(かえ)ってしまいます。それ を見(み)た宗(そう)旦(たん)が「今日(こんにち)庵(あん)」と命名(めいめい)した。

その他(ほか)にも、清(せい)巌(がん)和尚(おしょう)に

「清(せい)巌(がん)和尚(おしょう)に今(いま)お会(あ)いできたのだから明日(あした)に期待(きたい)するものではありません」、と返(かえ)したとも言(い)われ、実際(じっさい)のところはわかりませんが、明日(あした)ではなく今日(きょう)このとき、ということで「今日(こんにち)庵(あん)」の名前(なまえ)がついたと言(い)われています。表(おもて)千家(せんけ)の三代目(さんだいめ)である宗(そう)旦(たん)の四男(よんなん)「仙(せん)叟(そう)(せんそう)」が今日(こんにち)庵(あん)を譲(ゆず)り受(う)けたことで、裏千家(うらせんけ)として始(はじ)まりました。十五(じゅうご)代目(だいめ)「汎(はん)叟(そう)(はんそう)」が海外(かいがい)への普及(ふきゅう)活動(かつどう)を行(おこな)い、そのため現代(げんだい)では茶道(さどう)の代表(だいひょう)として、最(もっと)も一般的(いっぱんてき)に知(し)られている流派(りゅうは)となっています。道具(どうぐ)や着物(きもの)についても、他(ほか)の2流派(りゅうは)と比(くら)べると、華(はな)やかな方(ほう)が好(この)まれます。使用(しよう)する袱紗(ふくさ)は、女性(じょせい)の場合(ばあい)ならば赤(あか)または朱色(しゅいろ)、男性(だんせい)の場合(ばあい)は紫色(むらさきいろ)が一般的(いっぱんてき)ですが、他(ほか)の色(いろ)でも良(よ)いとされています。








Tea room "Kankyuan"

武者(むしゃ)小路(こうじ)千家(せんけ)(むしゃこうじせんけ)は、裏千家(うらせんけ)と同(おな)じ表(おもて)千家(せんけ)の分家(ぶんけ)で、表(おもて)千家(せんけ)の三代目(さんだいめ)である宗(そう)旦(たん)の次男(じなん)、「一(いち)翁(おう)(いちおう)」が始(はじ)めました。一(いち)翁(おう)は一度(いちど)家(いえ)を出(で)て別(べつ)の業界(ぎょうかい)で生計(せいけい)を立(た)ててから、還暦(かんれき)前(まえ)にお茶(ちゃ)の世界(せかい)へ戻(もど)って武者(むしゃ)小路(こうじ)千家(せんけ)を興(おこ)したという経歴(けいれき)を持(も)っています。武者(むしゃ)小路(こうじ)千家(せんけ)の茶室(ちゃしつ)「官(かん)休(きゅう)庵(あん)(かんきゅうあん)」は、京都市(きょうとし)上京(かみぎょう)区(く)武者(むしゃの)小路(こうじ)通(とおり)に所在(しょざい)し、一(いち)翁(おう)が高松(たかまつ)の松平(まつだいら)公(こう)の茶(ちゃ)頭(がしら)としての仕事(しごと)を引退(いんたい)、つまり官(かん)(役人(やくにん))を辞(や)めて休(やす)む庵(いおり)ということが名前(なまえ)の由来(ゆらい)となっています。
武者(むしゃ)小路(こうじ)千家(せんけ)は、他(ほか)の2流派(りゅうは)よりも比較的(ひかくてき)小規模(しょうきぼ)な流派(りゅうは)です。過去(かこ)に茶室(ちゃしつ)の消失(しょうしつ)と再建(さいけん)を繰(く)り返(かえ)してきたこともあり、道具(どうぐ)や所作(しょさ)は他(ほか)の流派(りゅうは)と比(くら)べると合理的(ごうりてき)で無駄(むだ)のない シンプル なものとなっています。茶道(さどう)のわびさび を重視(じゅうし)している点(てん)では表(おもて)千家(せんけ)に近(ちか)く、三(さん)千家(せんけ)の中(なか)では最(もっと)も保守的(ほしゅてき)な流派(りゅうは)と言(い)えるかもしれません。着物(きもの)も伝統的(でんとうてき)で地味(じみ)なものが好(この)まれます。使用(しよう)する袱紗(ふくさ)は、女性(じょせい)は朱色(しゅいろ)、男性(だんせい)は紫色(むらさきいろ)です。


茶道(さどう)とは、単純(たんじゅん)にお茶(ちゃ)を点(た)てて飲(の)むためだけではなく、その奥(おく)には、おもてなしの精神(せいしん)や「わびさび」など、美(うつく)しい心得(こころえ)を感(かん)じられる、日本(にほん)ならではの伝統(でんとう)文化(ぶんか)なので、京都(きょうと)に行(い)った際(さい)は是非(ぜひ)茶室(ちゃしつ)を訪問(ほうもん)してみてください。




さて、茶道(さどう)の儀式(ぎしき)「初(はつ)釜(がま)」とは、年(とし)初(はじ)めの茶事(ちゃじ)のことです。その年(とし)に初(はじ)めて釜(かま)を かけるから初(はつ)釜(がま)です。新(しん)年(ねん)を祝(いわ)う茶道(さどう)の新年会(しんねんかい)。新年(しんねん)の挨拶(あいさつ)会(かい)や稽古(けいこ)始(はじ)めの意味(いみ)もあり、茶(ちゃ)人(じん)にはとても大事(だいじ)な行事(ぎょうじ)になります。新年(しんねん)になって初(はじ)めてお茶(ちゃ)を たてるので「たてぞめ」「稽古(けいこ)始(はじ)め」ともいいます。初(はつ)釜(がま)は新年(しんねん)のあいさつが終(お)わる一月(いちがつ)十日(とうか)前後(ぜんご)に行(おこな)われたり、お正月(しょうがつ)三(さん)が日(にち)が終(お)わってすぐ行(おこな)うこともあります。

なお、茶事(ちゃじ)とは、少人数(しょうにんずう)のお客様(きゃくさま)を招(まね)いて懐石料理(かいせきりょうり)を さしあげ、濃茶(こいちゃ)(こいちゃ)や薄茶(うすちゃ)(うすちゃ) を点(た)て、もてなす会(かい)のこと を いいます。


ここをクリックしてくさだい。お茶事(ちゃじ)についての詳細ページになります。


濃茶(こいちゃ)と薄茶(うすちゃ)はどう違(ちが)う?
濃茶(こいちゃ)は、お客様(きゃくさま)の人数分(にんずうぶん)の抹茶(まっちゃ)を一(ひと)つの茶碗(ちゃわん)に練(ね)った、濃(こ)い抹茶(まっちゃ)です。一杯(いっぱい)のお茶(ちゃ)を 、参加者(さんかしゃ)で順(じゅん)に飲(の)みます。コーヒー でいえば、エスプレッソ といったところ。とろっとした苦味(にがみ)と、素晴(すば)らしい コク と香(かお)りを味(あじ)わえます。濃茶(こいちゃ)は、薄茶(うすちゃ)の 2倍(ばい)もの量(りょう)の抹茶(まっちゃ)を使用(しよう)しています。また濃茶(こいちゃ)には抹茶(まっちゃ)を ふんだんに使用(しよう)するため、高級(こうきゅう)な美味(おい)しい抹茶(まっちゃ)を選(えら)ばなければいけません。そうでないと、渋(しぶ)みと苦味(にがみ)がかなりきつくなってしまいます。濃茶(こいちゃ)用(よう)の高級(こうきゅう)な抹茶(まっちゃ)を購入(こうにゅう)する際(さい)の簡単(かんたん)な見分(みわ)け方(かた)としては、薄茶(うすちゃ)には「白(しろ)」、濃茶(こいちゃ)には「昔(むかし)」という名前(なまえ)がついてあるので チェック してみましょう。濃茶(こいちゃ)は、抹茶(まっちゃ)4g に 80度(ど)前後(ぜんご)の湯(ゆ)を 40ml注(そそ)ぎ、薄茶(うすちゃ)のように泡(あわ)だてずなでるように混(ま)ぜます。抹茶(まっちゃ)を 「練(ね)る」といいます。また、濃茶(こいちゃ)を飲(の)む際(さい)は、格(かく)の高(たか)い茶碗(ちゃわん)である楽(らく)焼(やき)の楽茶碗(らくじゃわん)を使(つか)います。


薄茶(うすちゃ)は、お抹茶(まっちゃ)と聞(き)くと イメージ するような、泡(あわ)の立(た)ったお茶(ちゃ)になりますが、流派(りゅうは)によっては泡(あわ)を立(た)てない場合(ばあい)もあります。濃茶(こいちゃ)より幾分(いくぶん)薄(うす)く、コーヒー でいえば、ブレンド や アメリカン。一人(ひとり)につき一杯(いっぱい)を いただきます。一般的(いっぱんてき)に飲(の)まれている抹茶(まっちゃ)は、「薄茶(うすちゃ)( うすちゃ )」と言(い)われています。薄茶(うすちゃ)は、抹茶(まっちゃ)2g に 90度(ど)以上(いじょう)の熱湯(ねっとう)を 60ml注(そそ)いで茶筅(ちゃせん)を使(つか)ってシャカシャカ泡立(あわだ)てるようにまぜる、これ を「点(た)てる」といいます。薄茶(うすちゃ)の茶会(ちゃかい)では「茶碗(ちゃわん)についての会話(かいわ)を楽(たの)しむ」という風習(ふうしゅう)があるため、季節(きせつ)に合(あ)わせた美(うつく)しい絵柄(えがら)が入(はい)っている様(さまざま)々な形(かたち)・色(いろ)・模様(もよう)を格(かく)の上(うえ)・下(した)に関係(かんけい)なく好(す)きな茶碗(ちゃわん)を選(えら)んで飲(の)みます。




その初(はつ)釜(がま)でいただくお菓子(かし)で有名(ゆうめい)なのが、「花(はな)びら餅(もち)」。 お餅(もち)から ニョキッ と出(で)ているのは、なんとごぼう! ミスマッチ のようで不思議(ふしぎ)と美味(おい)しい組(く)み合(あ)わせのお菓子(かし)。別名(べつめい)で菱(ひし)葩(はなびら)餅(もち)( ひしはなびらもち ) ともいわれます。
菱形(ひしがた)の ピンク色(いろ)の薄(うす)い餅(もち)、白味噌(しろみそ)餡(あん)、甘(あま)く煮(に)たゴボウ を白(しろ)い求(ぎゅう)肥(ひ)で半円(はんえん)型(けい)に包(つつ)んだもので、正月(しょうがつ)に食(た)べられます。

なぜ甘(あま)い和菓子(わがし)にわざわざ ゴボウ なのでしょうか?

なぜ ピンク色(いろ)の餅(もち)は「菱形(ひしがた)」なのでしょうか?



それは、この花(はな)びら餅(もち)の由来(ゆらい)が生(う)まれた平安時代(へいあんじだい)までにさかのぼります。平安時代(へいあんじだい)、宮中(きゅうちゅう)では、「歯(は)固(がた)めの儀式(ぎしき)」という行事(ぎょうじ)がありました。「歯(は)固(がた)めの儀式(ぎしき)」では、天皇(てんのう)がその長寿(ちょうじゅ)を願(ねが)い、白(しろ)餅(もち)の上(うえ)に菱形(ひしがた)の餅(もち)を置(お)き、その上(うえ)に押(おし)し鮎(あゆ)など を のせて召(め)し上(あ)がったそうです。それが次第(しだい)に簡略化(かんりゃくか)し、押(お)し鮎(あゆ)や味噌(みそ)を餅(もち)で包(つつ)んだ「宮中(きゅうちゅう)雑煮(ぞうに)」と呼(よ)ばれる物(もの)が食(た)べられるようになります。

それがさらに簡略化(かんりゃくか)し、押(お)し鮎(あゆ)が ゴボウ に代(か)わり、雑煮(ぞうに)が餅(もち)と白味噌(しろみそ)で表(あらわ)されるようになりました。

そして、それ を菓子(かし)化(か)したものが宮中(きゅうちゅう)で食(た)べられるようになりま した。

みそ餡(あん)にごぼうとにんじんは、なんと雑煮(ぞうに)の見立(みた)てだったのです。紅色(べにいろ)が白(しろ)い餅(もち)に透(す)けて、なんとも雅(みやび)なお菓子(かし)です。



製法(せいほう)は、白(しろ)餅(もち)を丸(まる)く平(たい)らに延(の)ばして赤(あか)い小豆(あずき)汁(しる)で染(そ)めた菱形(ひしがた)の薄(うす)い餅(もち)を重(かさ)ね、中(なか)に甘(あま)く煮(に)たふくさ牛蒡(ごぼう)(ゴボウ)を白味噌(しろみそ)の餡(あん)にのせて、半月(はんげつ)型(かた)に仕上(しあ)げたもの。お店(みせ)によって多少(たしょう)の バリエーション がありますが、甘(あま)さの中(なか)に塩味(しおあじ)を もつ味噌(みそ)餡(あん)や牛蒡(ごぼう)の香(かお)りが調和(ちょうわ)された、素晴(すば)らしい風味(ふうみ)のお菓子(かし)です。


Japanese culture and Japanese food

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